ゴッホが今生きていたら──私は彼を好きになれただろうか?

歴史上の画家たち

ゴッホ──誰もが知っている画家の名前です。
でも私は、彼のことを「好きだ」とは思えません。

それには理由があります。
私自身が、彼と同じ“統合失調症”という診断を受けている当事者だからというのもあります。


■ 同じ病気を抱えていても、私は彼のようではない

私には、幻聴も幻覚もありません。
症状は人それぞれで、私の状態は比較的落ち着いています。

それでもなお、「統合失調症」という言葉を背負って生きることは、社会的には明確なハンデです。
どんなに症状が軽くても、診断名だけで「怖い」「危ない」という偏見をぶつけられることがある。
その偏見は、ゴッホのような激しい人物像が“美談”として語られ続けていることにも一因があるのではと感じています。


■ ゴッホと同じ病気だと知られて不快だったことがある


「あなたもゴッホみたいに奇行をするの?」
「アーティストって病んでるイメージあるよね」
というような言葉を投げかけられるのでは?

そのたびに、私は強い不快感を覚えました。
ゴッホの人生が“破天荒な芸術家”として神格化されることで、現実の私たち当事者が余計に誤解されてしまうのです。

その瞬間、心の中で思ってしまいます。

「ゴッホ、あなたは迷惑な存在だ」と。


■ できれば私は、健常の画家として生きたかった

本音を言えば、健常者として、絵を描いていたかった。
病気のラベルを貼られることなく、
奇行や偏見と無縁の場所で、
ただ「絵」で評価される人生を送りたかった。

その方がいいに決まってます。精神障害など社会的底辺でしかありません

でも現実には、私は統合失調症の診断を受けています。
症状が軽くても、「その診断名がある」というだけで、世間の目は変わる。
それがずっと苦しいのです。


■ それでも、私は穏やかに描く

私は絵を描くとき、叫ぶような気持ちでは描いていません。
私にとって創作とは、感情を爆発させることではなく、
自分を落ち着かせ、整えるための時間です。

だから、病的な表現や激しいエネルギーのこもった作品にはあまり惹かれません。
むしろ私は、癒されるような絵を描く人に強く共感します。


■ 健康的に描く画家が支持されているという事実

たとえば、柴崎春通さんのような、穏やかで丁寧な絵を描き続けている方は、
多くの人から信頼と支持を得ています。

彼の動画には、「心が落ち着く」「癒された」というコメントがあふれています。
私は、それこそが現代の人々が求めているアートのかたちだと感じています。


■ ゴッホを否定するわけではない、でも…

もちろん、私はゴッホという存在を完全に否定したいわけではありません。
彼のような生き方があったことも、彼の作品が影響を与えてきたことも事実です。

でも私は、「苦しんでこそ芸術だ」という考えには賛同しません。
創作はもっと自由で、もっと穏やかであっていい。
そして、健常でも障害があっても、どちらも同じように絵を描くことが許されていいはずです。


■ おわりに──私はゴッホが好きではない。でも描くことはやめない

正直に言います。
私は、ゴッホが好きではありません。
彼のように苦しみを美化されることに、私はずっと違和感を持っています。

できることなら、健常の画家として生きたかった。
けれど、それが叶わなかったとしても──
私は私の方法で、今日も静かに描いています。

それが私の、たった一つの表現のかたちです。

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